上田まり / empty page CD
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上田まりの99年に出た第二作目。
前作のシティーポップス路線はそのままに、上田まりのソングライティングを充分に感じてほしいという意図が感じられる力作。
ここへ来て、当時の打ち込みハード機材の導入が確認できるところが時代を感じます。
前作に比べるとストリングスや生楽器の比率がおさえられ、派手さは控えめに、部屋で作られた内省的な音楽となってはいるものの、ゆっくり歩くように新しい音の世界へと進み始めるアルバム構成は繊細な世界。
大阪出身のSSWが単身東京へやってきたといった物語が前作から意図してあったことが、今作にて微弱に変化していく楽曲群から感じとれます。
前作の"room"の情景真理までも、きっちり今作にて描き出す作風は流石の出来上がり。
音楽自体は確実に外へと歩んでいるのに、作者のroomへと、内へ内へと案内されていくような、同時再生される構造はアルバム文化の極み。
95年にリリースされた、MY LITTLE LOVERの名作、「evergreen」にて試された、ビートルズとモータウンの関係性を再構築したかのような世界はシティーポップス文脈には欠かせない鈴木茂のバンドワゴンサウンドに通ずる、あいのりを今作では、また違った比率にて再々構築しているところが意味のある作品。
実験の中で生まれ出たであろう名曲"いつか来た道で"の成果が次作、アルバム最終作の作風へと繋がっていくことは明確。
ここで何かを掴んだとプロジェクト全体が感じたはず。
そこからディープゾーンへと入るように、流れる都市の中での片隅を感じさせる"遠くへ行こう"で聴こえてくる都会派シンセワークが街の夕暮れを聴かせてくれます。
この時点にて、もうシティーポップスの枠組みを軽く超えて、真似事を抜け出し、完全なるオリジナリティへとポップスの領域が羽ばたく瞬間が聴こえます。
東京をテーマにした作品はこれまで色々あれど、70年代の青春や寺山修司などがテーマにした外から内へ集まる田舎者の生活とともに都市は大きな歯車を動かし続けるわけで。
そんな街での生活者の揺れ動く心象は純朴かつストレート。
なんともこの手の作品はセンチメンタルな旅のようでいて、確実にその時、その時代でしかない心情が"切り取られた"ことがわかるわけで。
このような、荒木経惟から始まった写真的物語、それはドキュメンタリー映画のように、田舎町から出てきた少年、少女と芸能がコミットする時に何が生まれ出るのか。
そんな瞬間を切り取ろうとする物語構成はエイベックスのお家芸のようにも思えたり。
そんなドキュメントを当時力があった芸術表現にて真空パックさせたことが、結果時代の詩を作り上げたのだと感じます。
00年初頭にURCの音源の販売権を獲得して販売に踏み切っているわけですが、レーベルイメージとはかけ離れていたこともあって、エイベックスからURC作品が出ていたことに違和感しかなかったわけなのですが、でもよくよく作品を聴いていくと、むしろ70年代の"青春"に執着したキティーの多賀や"運動"をアーカイブすることを作品とした初期URCの理念を元ネタとしていたことは明らかであって、90年代、00年代の大きな産業のなかにて、その永遠性を形にしようとしていたことがわかってくるわけです。
これは遠くはジャニーズやモーニング娘。などのアイドル文脈にも言えますが、"ポップス"という表現は日本の一番の舞台(高い場所)にて描かれる、少年、少女がごく自然と持ち合わせていた純朴を神話に捧げることによって、古来儀礼などでも用いられた絶対的な神々との交わりを音楽媒体を通して体感する、一種の祝祭のようなことだったのではと思ったり。
ネットが現れてからはヒドラの首は切られるが如く、細分化が進む世の中において、昭和に作り上げられた神の降臨は無いにせよ、この時代はまだこの方法論がかろうじて通用した最後の年代のようにも思ったり。
それは信仰、セラピーのような行為を音楽が引き受けて行っていたのではないかと思えてならないわけです。
バブル崩壊後の就職氷河期時代を戦う、ロストジェネレーションたちの巨大な鏡として、それは当時の日本の若者の等身大の神として、エイベックスの看板アーティストたちは君臨していたのではと思ったり。
エイベックスのサイドストーリーを集めていくと、実は描かれることのなかった、当時の若者たちの切実な声が聴こえて来るが如く、もうひとつの情景が浮き上がってくる心象風景こそがポップスに刻まれたソウルなのではないかと思えてならないわけです。
CD盤面 M-:Mint Minus 美品
ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品