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SEÑOR COCONUT AND HIS ORCHESTRA / FIESTA SONGS CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
"Atom™"や"Atom Heart"、"Señor Coconut"など多数名義にて活動するドイツ出身の電子音楽家のUwe Schmidt。 日本でもお馴染みなのも、細野晴臣のデイジーワールドとの関わりなどから90年代から何かと、ここ日本に出没する特殊な作家で、その変態性と先端技巧が合わさる世界戦はまさに理想郷。 J-POPSのリミックスなども数多くこなしながら、チリへと移住して、辺境から現在でも先端音楽を世界に流出する才人。 クラフトワークが持っていたカウンター魂を受け継ぎ、より高度な湾曲を描いているところがこれまた最高。 きっちり音楽技法や基礎が備わった作家だと思うのも、脱線はせず、特に面白いのが、カバーする作品集にて見せる、ひねくれとpops領域との"バランス"にて特殊な世界を作り上げてしまうところが最高で。 95年にリリースされた、完璧な音響空間のなかで展開される、ブリープ、ミニマルテクノの世界線を作り上げているInteractive Music名義などの作品も素晴らしく、明らかに当時のテクノ勢と同じ服装をしているのに、グリッチやディープハウス、エレクトロニカ要素が入り組むちょっと見つめている高さが未来へ行き過ぎた音像にはクラクラしてしまいます。 そんな奇才をさらに奇才に追いやってしまったのが、今作のSEÑOR COCONUT AND HIS ORCHESTRA名義での活動。 その変態性の裏表がひっくり返った瞬間と言って良いのかもしれない。 YMOのカバー集もYMOをよく知る逆張り的なカバーはマニアを喜ばせているに違いなく、もっとそれを奥に行った奥地には先住民族と現代人との邂逅があったとして(誇大妄想)誰もが知っている名曲群を先住民族に教えた結果、彼らは彼らの世界線にて名曲をビルドアップしたかのような、エキゾチカな音響にて、ギャグセンスまで交えながら作り上げた今作はまさに高度な名作。 ディープパープルのスモークオンザウォーターのお馴染みのギターリフをパーカッションの音色で表現していたり、シャーデーカバーしかり、マイケルジャクソンのbeat itのカバーなど最初聴いた時は本当にびっくりしました。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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KEITH JARRETT TRIO / SOMEWHERE BEFORE CD
¥1,600($10.14)
キース・ジャレット、1968年のステージを収めた今作はチャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンのトリオによるもの。 キース・ジャレット若干23歳の頃。 68年といえば、69年にウッドストックが開催されるなど、アメリカ、世界各国の音楽や社会情勢が大きく変動した時代で、ジャズをとりまく話しで言えば、ハード・バップの全盛期は去り、フリー・ジャズへと入った近隣には平和、反戦を掲げたプロテスト・フォークやロックといった新しい風が吹き荒れていました。 キースジャレットのライブ会場にはマイルスやジミ・ヘンドリックスが現れ、ジャニス・ジョプリンやミック・ジャガーまでもが居たようで。 ジミヘンとは共作をつくる予定もあったというからそれは聴きたいところ。 キースジャレットといえば、この後ECMなどの作品群などでもわかりますが、実験的かつ繊細な演奏を繰り広げる名手であり、そんな彼の青い記憶が街に特化した音楽であったことは今作を聴けばよくわかります。 オーネット・コールマンの影響下にあり、従来のジャズの殻を積極的に打ち破ろうとしながら、バックルーム的ラウンジジャズを展開しているところが聴きどころ。 しかしながら、あのキースジャレットの旋律はこの頃から健在。 チャーリーヘイデンのベースからの展開が最高で、原点へとビートラインに連れ込まれる感覚を味わえるところが中毒性が高い。 ハードバップ後、ロックなどの影響があったなかで、マイルスのモダン期とも違い、大きな渦にも微動だにしないジャレットの繊細なバランスをベースとドラムスの個性が支えている音像は時間の層をかき消しており、そんなトリオのラインから聴こえてくる未来、ECMとの縁がここからもう覗けるのも素敵。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品 帯あり
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dip in the pool / 静かの海 CD
¥1,400($8.87)
SOLD OUT
作編曲家の木村達司とモデル、女優業と幅広く活躍する甲田益也子がボーカルをつとめるdip in the pool。 ジャパニーズパンクなどの世界線と地続きに存在する音響と実験要素を商業化するべく、デザイナーズ的音楽体系とでも言いたい、大手広告代理店や大手流通グループなども入り混じり全方位からデザインされた"文化形態"を作り出し、突き進むこととなる90年代までに落とした種は後に"環境音楽"やDCブランドに代表される服飾文化でのショーのための音楽返答、それはファッション有りきのイギリスのパンクムーブメントの方法論を"近代都市"化した、70年代から始まったインディペンデント発想が都市化したと言っても良い文化人たちが大きな資金源の流動と文化の最盛期との摩擦は駆使して作り出したアーカイブは日本の音楽史の中でも、今世界的に注目の的になっているのではないかと思ったり。 ちなみに日本では地下演劇の世界にてそのような全方位をひとつの表現に集中させる極意をイギリスのパンクムーブメント以前に形にしていた経験が土台としてあったからこその商業的な大きな流れを作れたのだとも思っています。 映像と音楽の分野はどこの分野においてもコミット可能ゆえに当時の80年代の文化圏を行き来する、大きなネットワークになっていたようにも思うのです。 それは後の90年代に入っての日本のストリートカルチャーへも繋がっていくように感じます。 今作のdip in the poolは当時勢いがあったイギリスのインディペンデントレーベルの代表、ラフトレードからのリリースや、漫画家の岡崎京子が描きそうな80年代キッズが飛びつきそうなユニット構造は90年代のプロデューサー時代を先取りした編成のようにも思え、同時代的には橋本一子のColored Musicや8 1/2やハルメンズでの活動した、上野耕路が率いたゲルニカにチャクラなど、この流れからPSY・SやFLAT FACEやそのスタイルに徐々に変貌し90年代を貫いたpizzicato fiveなど日本の80年代から90年代の定番スタイルとなったように感じます。 このようなスタイルは日本のAORやシティーポップという文脈にも受け継がれていくようにも思います。 細野晴臣、清水靖晃、テイ・トウワ、ゴンザレス三上、ピーター・シェラー等を迎え作られた、オブスキュア方面からも再注目される甲田益也子のソロ・名作アルバム"jupiter"がリリースされる3年前に作られた今作。 jupiterが到達点であれば、dip in the poolが先端の音楽を追っかけていたことがわかるような要素に、このユニットが変わらず持っている80年代モード文化のショーを感じさせる静寂は発足当初から保たれる神秘的な世界は今作でも健在。 今作を聴いても思いますが、文化人的な男の儚い幻想を描いた世界線を一手に引き受けていたのが透明感となんとも人形と人間の中間地点に存在するような甲田益也子の透明感であって、その透明がエフェクトとなり、文学世界から自主制作映画の文脈など幅広くコミットする音楽はここでしかない世界。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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MFDK / Small House CD-R
¥1,800($11.40)
奈良に拠点をおくprivacy recordsの007番がついに完成。 老エイジな運営を行うレーベルの因果か、 "敬老の日"が終わる真夜中からの発売開始。 化していくスピードを変調させ、肉体は水に化け、ミニチュアの家へと蒼のスクイーズが吸い込まれていく。 スイミングプールにてクロールする作家は何メートル先へと歩を進めたのか。 今作は大阪在住の柿本大輔さんがMFDK名義にて2023年から2024年の間に作りためた楽曲をprivacyがコンパイルした自信作。 初期衝動が音楽として鳴った瞬間、それは自らの初期衝動を追体験することと変わり無し。 不思議なぐらいに一瞬でアルバムが終わり、それは本当にそこにあったことを疑ってしまうぐらいの"異物的音像"は家具として機能します。 今回はレーベル側がミキシングを行い、より効果的な独自音響を作るべく余計なルートを何通りも通り、実験を重ねた結果、奥底に存在する作者の心象をも通り抜ける音楽が生まれたように感じています。 なんとも初めてキャバレーボルテールを聴いた、あのテープにこびれついた"異国の混沌"に興奮した0の俺、説明不能な異端的な"音響"は現代的なスタジオワークから遥か離れたドメスティックなノイズをかき分けるようにして出来上がったむき出しのアンビエンスを是非とも聴いて頂きたい。 装丁製作は信頼のマノ製作所。 限定60部。 MFDK Small House priv-007 BHSS mastering 2026年作品 CD-R作品 グラシン紙 透明フィルム 解説書 CD盤面 D : Dead stock 未開封 ジャケット D : Dead stock 未開封
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KRAFTWELT / ELECTRIC DIMENSION CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
クラフトワーク。ドイツ語でクラフトヴェルク。"発電所"と呼ぶこのグループは60年代終わりにドイツに流れ込んだ実験音楽や現代アート、ハプニングにフルクサスといった前衛の波を受け、コンセプチュアルアートの概念を思想に持ち込みながら70年末期には、アメリカのウォーホルらのポップアートの概念を彼ら独自の世界線で展開したことにより、最終、自らがロボット化(人間解体)するといった方法へと着地したことが、クラフトワークのユニークなところだと思います。 アルバム単位の作品作りではなく"クラフトワーク"を作っていくためのコンセプトを導入して、そのルールの中において、ヴィジュアル、音楽全てが一点集中したことによる、相乗効果は計り知れないエネルギーを生み出し、その後もその手法は環境や時代が違う場所にて地続きとなっていきます。 反骨を持ち続けたことがこのような結果を生み出し、ジャーマンプログレの面々とは俺たちは違うと、CANなどにみるヒッピー思想を毛嫌いして、タンジェリンのような英語を使ったバンド名は全否定した、自分たちの国"工業国ドイツ"らしさを突き詰めたアートフォームが結果、音楽という表現を通し、見事なまでに完璧な工業製品を作り出してしまったことがクラフトワークが神と言われる所以だと感じます。 なぜなら、現在の音楽の状況を見れば一目瞭然 であり、もう全人類クラフトワークのアートフォームーの内にて音楽制作を行っているわけだから、なんとも全ての音楽の始祖のような幻想が時間が経れば経るほどに大きくなっていくわけで。 黒人音楽が白人音楽に与えてきたインパクトは昔から大きいわけですが、大きな例で言えばビートルズはまさに影響下にあるわけですが、黒人が作り上げた表現を白人がビジネスへと変えていくことが、カデット的な音楽ビジネスの基本的なルートだったところ、ヒップホップやデトロイトテクノなどを見てもそうですが、クラフトワークが唯一その"反対の現象"を起こしている、白人が音楽表現を通して唯一黒人へお返ししている稀な出来事だと思うのです。 そんな彼らが作り出した工業製品は若い世代によってまた新しい道を切り開いていくわけであって、90年代に入ってはその同行を見つめ、生まれ出る"更新"を意味した新しい現象を大木のように見ていくことが彼れらクラフトワークの表現のようになっていくのも90年代に入って、クラフトワーク愛を爆発させたテクノ的な方法論にてクラフトワークを現代的かつ個人的な領域にてアウトプット出来る時代に差し掛かっている、まさに次なる面白い時間に入っていったのが90年代だと感じます。 そんなクラフトワークに影響を受けたデンマークの4人組バンド、クラフトヴェルトもクラフトワーク的現象のひとつの面白い結果だと感じます。 クラフトワークがやって来た思想をもきっちり理解しながら、新たな"テクノ"の世界を作り上げているところが最高で、クラフトワークという人工知能がクラフトワーク的な方法論にて、新たな世界を作っているような錯覚を覚えるぐらいに作り込まれた、90年代的エレクトロニック・サウンドを堪能してほしい。 クラフトワーク云々関係なくとも90年代のテクノの醍醐味が詰め込まれていて、なんともクラフトワーク的マニアックな作りが堪能できる本作は当時の日本のテクノ勢の音を彷彿とさせる瞬間も聴きとれますし、そう考えた時にクラフトワークの影響下から生み出された音楽は計り知れないぐらいに世界中に存在することがわかるわけで。 クラフトワークが作り出した地平が新しい大陸を作り上げ、生命が宿り、まさに増殖し街を作り上げていたことがよくわかる力作。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品 帯あり
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Fishmans / Fishmans Aloha Polydor CD
¥2,600($16.47)
1999年3月15日の佐藤伸治逝去にともない、活動を停止したバンドながら、その後もバンドが作り上げた作品群に対しての評価は高まる一方であって、今や海外にまでコアなファンを会得するまでに受け入れられているFishmans。 J-popsのフィールドにて活動を行っていたと今となっては嘘のような作品群から放たれる革新的な音作りは30年近く先を行っていたと思うしかなく、この2026年の現状を98年のバンドメンバーたちが知ったのならどう思ったのだろうと考えたりしていました。 聴くことでしか近づけなかった人たちにとって、これから聴いたことのない凄まじい現象に出会えた可能性が粉々に消え失せた事実に怒りにも近い行き場の無い魂が宿ってしまった文章が数多く残っているところも、"98.12.28 男達の別れ"の完成したバンドの音楽が残したエネルギーであって、活動休止した数年のミュージックマガジンや、今作のライナーノーツにも、強烈な気持ちが刻まれているように感じます。 "音響"をバンドが操ることの実践、それは同時代にニーズとなった、"変わった音"や"実験的"な観点とはまた違った試みにて音響を操ることを行ったことがFishmans特有であり、彼らが見えていた良い音楽には音響が必要だったように思うのです。 佐藤伸治はアントニオ猪木信者でもあったので、なんとも"考えるな感じろ"の精神が宿っていてもおかしく無い音楽を彼らは"感じるな、波形を見よ"と現実的な音を操ったところがユニークな世界を生んだ理由だと思っています。 それは音作りを行っていたzAkがFishmansの母体だったことは言うまでもないと思います。 Fishmansはポリドールへ移籍後、世界で一番に早いプロツールズを使用して、渋谷に作り上げた通称"ハワイスタジオ"にて制作された世田谷三部作、彼らが一番に凄まじい作品群を作り上げた想い出の地をテーマにした99年にリリースされたベスト的今作は、その後リリースされた編集盤とはちょっと別枠のような作りだと感じます。 海外や今の日本の若い世代に、やっとこさ彼らが作り出してきた音楽の凄まじさが関係者や当時のフォロワが夕暮れのように人生を歩み出し、山へと姿を落とす27年後、それは"正当"に音楽として伝わったように感じています。 Fishmansのその後を考えた時に、オレンジが空中キャンプの前夜であり、その道のりは続いて、彼らの音の骨組みでもあるレゲエ、ダブ、テクノ、ダウンビートのムードの波に乗り、真っ先に抜け出すような、気持ちの良い音のミニマルの中にある彼ら特有の集合体に向かったように思うのも、ハワイスタジオの良い時間が作り上げたであろう、彼らの完成した夜空を提示したナイトクルージング、ラバーズを完全なる自分達のサウンドに吸収したマジックラブを通過した後に訪れるのはダブやアンビエントの行き着く浮遊の上で夜空に触れたような、あのナイトクルージングの地続きとも言える、国民的アイドルSMAPに提供した唯一作である "それはただの気分さ"の佐藤伸治歌唱バージョンが今作には入っていることがこの作品の1番の目玉だと感じます。 ここまで来る道のりで会得したマジックを惜しみなく唱えて固有の音楽表現から抜け出して作り上げたバンドサウンドは叶うことのないFishmansの次なる作品を探る大きな手がかりとも言えるような、彼らがたどり着いた"浮遊"の完全版を聴いてほしい。 もう既に未来を映し出している瞬間はあると、このような楽曲を聴くと思ってしまいます。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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CHITOTIHC / KULA-kura CD
¥3,800($24.07)
SOLD OUT
兄のクニ河内と共にハプニングス・フォーにてドラマーとして活躍した、チト河内。 フラワートラベリングバンドやトランザムの活動、The Boomのバックサポートなどを行いながら、TVの劇伴やCMなどを手掛けるなど多作な音楽家なわけですが、93年に自身初のソロ作品としてリリースしたのが今作。 内容がなんともニューエイジ、実験音楽、トライバル、テクノ、アンビエントと当時先端であった音楽形態まで入り混じる、まさかの世界。 海外の音楽ディガーたちも血眼で探している作品のひとつではないでしょうか。 アメリカの信頼のレーベル、forest jamからのアナログ化なども記憶に新しいわけですが、それも納得の今求められている音像が今作では鳴り響いています。吹き出していると言って良いと感じます。 93年にこの世界線はとても早いように思うのも、まだまだワールドミュージックの余波は消えてないようにも思うところ、日本にてテクノがまだまだ出てくる前の情景であり、ハウスが全盛期であったクラブ界隈にも精通していたのではと勘繰ってしまうような音像に、民族音楽から、メディテーティブな世界線の混合は後のテクノやブリープテクノなどの世界線にも繋がるなんとも先を走ってしまった音世界を味わってほしい。 細野晴臣、窪田春男、宮沢和史の参加は注目。 70年代のプログレから80年代入ってのジャパニーズパンクやニューウェーブを経て、ダムタイプやvanityの阿木譲もそうですが、懐古的にひたることが音楽ではなかった、まだ聴いたことの無い世界に出会うために先端を追っかけていた時代の未来を掴んでしまった音楽を聴いてほしいと感じます。 このような世界線が90年代東京で鳴っていたと想像するだけでなんともたまらなくなります。このような音像がこの時期にもうあったと理解すれば、その後の日本の様々な音楽の形態が出てきたとしてもおかしくないと納得できるはず。 こちらが原盤となります。レアです。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品 帯なし
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Marju Marynel Kuut / MANG CD-R
¥2,000($12.67)
1960年から70年代、エストニアにてジャズボーカルとして活動後、実の息子の音楽家uku kuutと共に80年代からはダンクラ、ディスコ作品など、数多くの名作を生み出した歌姫を貫いたMaryn E coote。 2010年代にアメリカのレーベル、Peoples Potential Unlimitedからの名仕事にて、世界に親子の音楽の再復古劇が炸裂したわけなのですが、そんなMarynさんの貴重なジャズボーカル期の音源をコンパイルした作品が今作。 なぜ貴重なのかと言えば、エストニア時代のMarynさんの作品はエストニア国によって全て廃棄されており、なかなか原盤に出会えることも少なく、今やレア盤と化してますので、このようにまとめられた編集盤があるのはとてつもなく貴重、ありがたや案件。 今作はMarynさんの自主制作盤であり、Marynさんのライブ活動時に売られていた作品で、5年前にご縁がありMarynさんの了承を得て、ukの工場にてプレスして頂いた作品。 エストニアは91年の独立まではソ連の占領下だったので、共産主義政権下において他国の音楽を聴くことも禁じられていた環境のなかで、Marynさんたちは海賊ラジオなどを通じて、当時のアメリカのソウルにファンク、ジャズといったブラックミュージックを愛聴し、かつエストニアにてカウンターとして、外にあった"アメリカ幻想"を禁じられていた場所にて鳴らし続けた歌姫であり、戦った証が今作には収められています。 エストニアを出国し、他国にて制作した"Maryn E coote"時代の音源の素晴らしさは他レーベルの作品群で確認は出来ますが、今作はここでしか確認できない音楽だと感じます。 形にするだけでも命懸けであったであろう、音楽群はなんとも独自のサイケデリック感まで漂ったレアグルーヴであり、ジャズだけではなく、ソウル、ファンク、フュージョンといった音楽が混在する名作。 ただ真似事だけでは終わらない、熱き想いが刻まれた音楽を是非とも聴いてほしい。 エストニアを出た親子が向かった先はスウェーデンのストックホルムであり、亡命者を積極的に受け入れていたストックホルムでは亡命した(私は亡命ではないとMarynさんご本人は言われていましたが)バルト三国のジャズから民族音楽や職業音楽家などなど、多種多様な音楽家たちが集い、ごった煮コミューンを形成し、音楽制作と生活を共に行っていたようで、特に14歳であったuku kuutさんの源流は、この時期の違った国の先輩音楽家たちとの生活だったのではと思ったり。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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MATT VALENTINE ERIKA ELDER /DAYBREAK OF COCOLA & THE PLUMAGE OVERTONES OF BLACK PATTI CD-R
¥3,800($24.07)
アメリカのバーモント州を拠点に活動を行う音楽家、MATT VALENTINEとパートナーのERIKA ELDERが作り上げた、忘れ去られた故郷的ホームメイドな作品集。 MATT VALENTINE作品を見つければ必ず買ってしまうのも、その中には"極私的な音"が作品に詰め込まれているからで。メジャー作品やインディー作品、個人的に作られている作品など、全作品をコンプリートするのは難しい音楽山脈なわけです。 アメリカのオルタナティブロックの裏、アウトサイダーミュージックをきっちり継承しているところも最高。 世界各国のアコースティック楽器を、リバーブ、ディレイ、フランジャーなどのエフェクトにて増幅・強化するその世界線はなんとも広大なアメリカの片隅に点在するゴーストタウンから鳴り響く最後の音の群れのよう。 50年代のブルースなどの録音物に感じる真っ白い光を浴びたようなスレスレの音は人の記憶の扉の向こう側で鳴る音楽のようで、MATT VALENTINEの作り出す音もまさにその奥で鳴る音像だと感じます。 ブルースやカントリーの出発から独自世界にて、霊性世界にも繋がる呪術的音楽へと直走った、ジョンフェイフィーなどの世界が好きならば必ずしっくりくると感じます。 90年代から00年に入っての現行の動きとして、そのような音楽形態との親和性も高いMATT VALENTINEの活動はもっと評価高くても良いのではと思ったり。 ソニックユースのサウストンムーアはきっちりコンタクトをとっているのは流石です。 このような、なんとも壮大な背景が乗っかってくる、アメリカ的"孤独"はアメリカの表現者のコミュニティ(たまり場)のようでいて、そのようなカウンター思想を客観視して表現を行えるようになった80年代終わりから90年代において、その世界線は音楽や映画にて最大の"幻想"として受け継がれたように感じます。 トムウェイツやヴィンセントギャロ、ジム・ジャームッシュやデヴィットリンチなどなど。 アメリカの幻想を見つけたインディペンデント寄りの思想の表現者が見つけ出した"幻想"が後に日本においても田舎に幻想を求める矛先が向いた、ひとつの理由だったと感じます。 都会は現実的な共通言語であり、それ以上の世界は描けないが、何も存在しない田舎においては白いキャンパスのように狂人の想像を具現化出来たのではと思ったり。 そう考えれると香港や台湾などの映画は都会をテーマに幻想を描き切っているところは異質だったと感じます。 こちらの作品は彼のレーベルから出ていた自主盤のCD-Rで、これ市場になかなか無いのか、情報があまりありません。 幻想は忘れ去られてからが勝負であり、その深さにおいて、それを見つけた者へどう語りだすかはその表現者の技量にかかっているわけです。 広大な時間を要する表現物、遺跡を所有する時間こそがインディペンデント作品の極み。 それに出会った人だけが、味わえる世界というのはあると感じます。 アウトサイダーミュージックやヘンテコ音楽が好きで仕方がない、そんな心や言葉をひっぱり出してくれるような味わい深い作品。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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レコード火星 / 火星遊泳 CD-R
¥1,500($9.50)
大阪淡路にある、小説家が営む本屋"タラウマラ"。現在は淡路内で移転を行い、新しい形態での営業を行われています。 タラウマラ店内に移転前にあった、世界で一番いい加減なライナーを書くことで有名な"レコード火星"なる中古レコードを扱うブースがありました。(レコード火星は移転後消滅) そんなレコード火星とタラウマラのコラボにて完成した、移転前タラウマラの最終作品としてリリースされたのが今作"火星遊泳"。 作品構造を書くと、Rチャンネル(右)に約5年の間にタラウマラにて購入した音源やタラウマラ店主から教えて頂いた楽曲を配置。 Lチャンネル(左)には店舗で売られていたレコード火星の商品であった、売れ残ったレコード音源を配置しました。 レフトライトだけではなく、真ん中にも音源を挿入した音源もあります(それはまるで知らない客人と客人があの店舗でミックスされるような)、基本的にはレフトライトに音を配置して、機械的にbpmを合わせるのではなく、同時に鳴らしたらどうなるのか?といった、シャッターをきるように誰でも出来るような方法を録音して"物"にする実験を行いました。 Rチャンネル(タラウマラ音源チャンネル)の音源は基本そのまま再生。 Lチャンネルに録音された、レコード火星のレコード音源には色々な加工を施しており、その温度差が今作をよくわからない作品に彩っていると感じます。 作品中の「水平線」と「キャッチボール」はストレートなリミックススタイル。 最後の"Dance with you"はLRに配置された音が我慢出来ず、動き出し、まるで違った瞬間に録音された音と音が、すれ違ったり、重なり合ったりと音源を個人として、ダンスを始めます。 限定100枚生産、全て手焼きスタイルなのも、現在市場にて高額で取引されている激レア媒体、当時モノの太陽誘電産のCD-Rを使用しています。 盤面デザインはマノ製作所。 CD盤面 D : Dead stock 未開封 ジャケット D : Dead stock 未開封
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POLYGON WINDOW / SURFING ON SINE WAVE CD
¥1,400($8.87)
今現在(26年)エレクトロニクスを用いた音楽家の中でも知の巨人っぷりを更新し続けている、イギリスのコンウォール出身のAphex TwinことリチャードDジェームス。 そんなリチャードの変名"POLYGON WINDOW"の唯一のアルバム作品。 R&Sからリリースした、Ambient works vol.1がAphex Twin名義での最初の作品リリースであり、不滅の名作、Ambient works vol.2がwarp移籍第一弾と思いきや、なんとその前にwarpからの初作品としてリリースされたのが、今作。93年作。 この"POLYGON WINDOW"の作品群はリチャードDジェームスの音楽を知るためにはとても重要な作品だと感じるのも、インタビューでは本当か嘘なのかもわからないことばかりを話しており、エイフェックスツインという"表現物"を作るために撹乱させ、その狂気の渦の中にて目つぶししている間にどんどん子供になっていった、そんなAphex Twinの原風景がまさにこちらの作品に表れていると思えるからで。 機材を分解し、改造し、より凶暴な音を作っていた、自作のシンセを売って小遣いを稼ぎ、CDで稼いだ金で潜水艦と自家戦車を所有しながら、無音室に住んでいた。 そんな錬金術師がテーマにしたのは今作を聴くと明らかにわかるわけですが、そのままの凶暴性を古来からある儀礼的スピリチュアリズムを現代の儀礼の場、"レイヴ"で試したらどうなるのかといったような、科学実験のように思え、特に初期の作品、この"POLYGON WINDOW"の作品を聴くとそう思ってしまいます。 ukテクノ、エレクトロニカ勢の故郷である、レイヴサウンドをリチャード特有のひねくれで、古来先住民が瞑想のために使用してきた"瞑想古楽器"などの音色をサンプルとして、レイヴを現代版悪魔祓い、めちゃくちゃになっていたイギリス国内にて儀礼を行うが如く、現代的に伝統と先端を交差させた呪術を描き出しているところに面白さがあるわけで。 人類が初めて出会った"楽器"は洞窟のリヴァーブであった。 それはディジャリドゥやあきらかなガムラン音階などが使用されている箇所や、エキゾチカ的(基盤がレイヴ音楽なので自然とそうなってしまった)、秘境概念がリチャードの初期作品にあるのも、生々しさをそのまま肉ごと目の前に提示したかったからであり、機材を改造し、そのままの"電気"を音として提示したかったのだと思います。 このような考えがごく自然に出来たのも、リチャードの生まれ育った場所によるものだと思っています。 イングランドから孤立している、古代から比較的独立した文化圏を形成していたコンウォール出身であり、王朝時代の街並みと古代遺跡などが、自然豊かに残る世界線にてリチャードの音楽世界は作られていったように感じます。 コンウォールは魔術と魔法の博物館が街にあることからもわかるように、SFと現実が同居する場所であって、Aphex Twinの表現方法は明らかに街から教えてもらったのではと推測しています。 それが作品ごとに、その街の物語を独自のpopsへと昇華させていったところがリチャードDジェームスの唯一無比な理由だと感じます。 "POLYGON WINDOW"はそんな街からの教えを素直に形にしたような、エレクトリックなゴリゴリ感が残る、石や木の感触が支配する古代テクノの密林の音を聴いてほしい。 リチャードDジェームスが作り出す音楽の幻水が隠れることなく、むき出しで表されているところがこれまた聴いとかないと話にならない作品のようにも思えたり。 Aphex Twinの表現が子供のビジョンへと進んでいったことも、この悪魔祓いなどの儀礼を素直に表現していたように思えるわけで。 精神科医の中井久夫が海外の学者などに、政治家がめちゃくちゃなのになぜ日本は大丈夫なのかと質問を受けたときに、表に出ていない人たちがまともだからだと答えると、みんな納得していたと書かれていたように、裏で何かを見つめている人たちが表に出なくてはならない現状になった時が末期であり、リチャードが世に出てきた時は金のためだと言いはるとは思いますけど、次リチャードが中心的に音楽土壌にて動き出したときには多分に音楽文化が死んだときだと思って良いと思います。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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The Windham Hill Sampler of New Electronic Music V.A / SOUL OF THE MACHINE CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
ギタリストのウィリアム・アッカーマンによって作られたレーベル"ウィンダム・ヒル・グループ"。 発足当初はアッカーマンのフォーク作品をリリースするために作られたようなのですが、日本でも人気を博した看板アーティスト、ジョージウィンストンのヒットなどもあったことからクラシックとジャズ世界の混合、それはドイツのECMの概念を(全然別物ですが)よりシンプルにアメリカ式自然回帰志向へとレーベルスタイルを確立していったことが、80年代に入っての最盛期において、アンビエントが商業化したときに誤用されたであろう、"ニューエイジ"という枠組みに見事はまり込んだことによって、ウィンダム・ヒルはニューエイジミュージックの代表レーベルと語られることとなったのだと思います。 そんなアコースティック主体のウィンダム・ヒル・レーベルの新しい取り組みとしてエレクトロニクスを主体とした作品群を集めたコンピがこちらの作品。 10年目にあたる節目ということもあって、新しい動きとして、エレクトロニック・インストゥルメント、シンセサイザーやコンピュータ技術を駆使したエレクトロニック楽器による新しい音楽を想像していた状況下において提示された、こちらのコンピレーションにはアコースティックとエレクトロニクスの混合種に当時の最新機材での音楽作品など、ヴェイパーウェーブや環境音楽が好きな人にはたまらない音源が目白押し。 今や何回も回ったあとの世界においては、このようなある種、擬似ポジティブな世界線はSF的オリジナリティを感じたり。 独自のバランス感覚だからこそ、ここでしかないオリジナリティを保っているのだと思いますし、これがもう少しブラックよりのジャズフュージョンなどに傾いていたのなら、少しでもズレていたのなら、かなりスレスレの線上を浮遊していたことは間違いなく、なんとも奇跡的に思えたり。 しかしながら、panの使い方や最新の機材での音作りは聴けば聴くほどに凝って作られていますし、ミュージシャンが社長として作り上げられていた会社の良いところが出ているように感じます。 どの分野もそうですが、オーディオを知らない人たちがオーディオを作ったり、漫画を読んでいない人たちが漫画を作ったり、音楽を作ったことのない人がレコードやCDを販売するような、そんな世界線が現れる前のストレートな世界。 この路線に踏み込めたのも、"ヴェイパー・ドローイングス"を発表しているマーク・アイシャムの作品群や日本代表のインテリアズの作品などでの手応えを感じたからだと思ったり。 電子楽器に人間の心(soul)を語らせることを念頭に作られた作品群は、後のエレクトロニクスを駆使した音楽が歩んだ道のりであり、このような動きが後に"環境音楽"という音楽へと発展していくと思っていて、なんともECMよりはまるで音楽的強度は無いものの、このようなスタイルがある程度の商業的に成功し、実験的なインスト作品の生きる場所を作っていることを考えるとこのウィンダムヒルの動きはやっぱり外せないように思います。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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SILENT POETS / "FOR NOTHING" CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
現在は下田法晴のソロプロジェクトですが、今作は春野高広との2人時代の作品であり、春野高広 は00年に脱退し、LITTLE TEMPOにて活動を行っています。 Nujabesがこれだけの評価を受けていて(アニメ作品などに楽曲提供していたところなどは大きいとは思いますが)、SILENT POETS がなぜにこれぐらいの評価に落ち着いているのかがよくわからないわけで。 今作は97年作。 現在、マッシヴアタックやポーティスヘッドなどのダウンテンポ勢の人気が高まっているように感じますが、この時点でもうSILENT POETS は独自のダウンテンポ表現の形をどの音楽家たちよりもクオリティ高く作り上げていたところはやっぱり凄いと思ってしまいます。 イギリスでもアメリカでもない、ここ日本にて打ち鳴らされた音楽だったといった事実もなんとも誇らしい。 血が通わぬマシンに血が流し込まれた瞬間が聴きとれるビートメイクが聴こえてくるところが最高で、イメージ、アーカイブ、多彩なゲストボーカルが絡み出し、それはYMOがグルーヴを無くすために機材を使用した美意識がAIのように人間味を学習するようにこの後のテクノやハウスが向かったマシンソウルなる"グルーヴ"へとここ日本にて、いち早く近づいた世界線を作り上げていたのがSILENT POETSだと思ったり。 その冷酷なビートにて描ききった"心象風景"は、ちょっと他の音楽家たちが出来なかった、独自の美学が聴こえてきます。 暴力的な美は叩きつけるが如く、撃ち込まれたビートは今聴くと、そこにはフィッシュマンズが描こうとした世界も、もうここにあるようにも感じますし、Nujabesのお手本のような、大木のようなビート世界を聴いてほしい。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品
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岡野弘幹 / ama CD
¥2,300($14.57)
ドイツのクラウスシュルツが主催するレーベルからのリリース経歴もあり、細野晴臣のスピリチュアル期にライブを一緒に行ったりと日本のチルアウト、アンビエント領域だけではなく、ワールドワイドに流行りではない本気のヒッピーが行き着いた現代的な民族音像の世界に挑んでいた岡野弘幹。 90年代から本格的に、この手のスピリチュアル系やらヒーリング系の"癒し"音楽がたくさんリリースされていたなかで、シンセサイザー音楽の成れの果てから生まれ出たシンセ音楽や、シンセ、民族音楽などを駆使して作り上げられたPOPS領域からの返答、クラシック畑の安直な商業主義が作り上げたエコー重視なフィーリングミュージックなど。 99年の流行語に「癒し」という言葉が選ばれて、その流れに乗り坂本龍一の楽曲が社会現象になるなど、このような流れを見ていくと音楽がどのような意図で当時聴かれていたのかがわかるように思えたり。 そんな中でもそことは違った線上にて、音楽のジャンル化が難しい"響き"や古来人間が行ってきた神との対話にて使用されてきた、ある種のムードミュージック、それは動物的な領域を人が体感できるように噛み砕いた音としての言葉を追求してきた、先住民族が作り上げてきた世界を岡野弘幹は当時先端の機材や民族音楽などを用いて表しているところを聴くと、また全然趣向は違えどヒッピードラッグ文化がパーソナルコンピュータに行き着いた道のりがbgmとして鳴り響くわけで。 風のまつり、RAINBOW2000、フジロック・フェスティバル、イギリスのグラストンベリーなど、日本の音楽の歴史において重要なフェスや祭りには出演しており、当時このような路線は先端としてあったことがわかる、ディープマインドミュージック。 世界的な活動に繋がっていった、シュルツのレーベルからリリースされた作品群なども入っているところがまた最高で、岡野弘幹の音楽を知るために必要な要素が詰まったベスト盤。 POPS世界の裏面的90年ディープサウンドを堪能してほしい。 CD盤面 EX+:ごく軽い擦れあるが目立つノイズなし・良品 ジャケット EX-:軽いスレ、傷や汚れ、シミがある状態・並品 https://youtu.be/sNb7kWmORB0?si=uATqfGwNIcO-Byyk 時代的に近い音資料です。細野さんとの共演ビデオ。
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MASAHIKO SATOH RANDOOGA / まほろば CD
¥2,500($15.84)
SOLD OUT
佐藤允彦と言えば、70年代のジャズを探っていくと必ずぶち当たるピアニストだと思います。バークリー音楽大でジャズを学び、その後、数々の国内外の音楽家たちと競作を行うわけですが、フリージャズから現代音楽、ジャズファンクからミニマルミュージックまで、ジャズを起点に広範囲にて自らの音楽を作ってきたジャズピアニストだと感じます。 そんな佐藤允彦の93年作。 こちらは何とも氏のレアグルーヴ作品なんかとは別枠で聴かなければならない作品のように思えます。 日本にも到来したワールドミュージックブームにぶち当たる今作は現在注目される日本の音楽家たちが陣営を固めているところがまた良いわけで。 このワールドミュージックブームは、ここ日本だけのブームではなく、世界中で驚かれた事実が共有されたインターネット接続前の良い風景。世界各国の音楽レーベルや音楽家の動きがグローバリズムと共に旧世界の超絶世界が動き出した瞬間。 日本では西武グループが仕掛けた策略であり、ここ日本においても、この流れから注目され、未だ生き続けている民謡や音頭なども数知れず。 それは白人社会が作り上げた音楽世界だけではなく、それ以外に広がる、広大な文化や歴史を通して見える、多様性をロックやジャズへと再構築が成された時間であり、研究者でもあった音楽家たちが70年代の終わりには薄ら見えていたであろう第三世界や第四世界に密かに脈打っていた未来音楽が現実へと姿を現し始めた時間。 今作は民族音楽、フリージャズ、チンドンに音頭、実験音楽などの要素が技巧を通して、それはまるでリズムが編まれていくような過程を聴いていくような宇宙。 ウェザーリポートより断然おもろいことをやっている、超絶演奏と独自ワールドミュージックをつら抜く一曲目"武州狩声節"の裏打ちでユラユラ揺れるシンセサイザーに各自唸る民族楽器類の混血がこれまた凄い。 ピアノとシンセはもちろん佐藤允彦で、今や海外人気の方が高いのではと思ってしまう、マリンバの高田みどりに、先日天国へ行った、坂本龍一などとの競作も素晴らしいYAS-KAZが参加。 きっちり当時のワールドミュージックしているところが良く、アーバンなムードまで兼ね揃えている独自の音がコンポステラなどが提示した硬派なクレズマー音楽論などとはまた違った、商業的な立場からの追求を行っているところが良いわけで。 何次元もの世界線が同時に鳴り、その鳴りはひとつの音楽として建つ世界線は、なんともこの惑星に住む生き物の如く、幻想と化したグローバリズムの理想系を音で表しているようでいて、当時の死の香りがした大都会の孤独をも浮き彫りにする楽曲群は白眉。 篠田昌已が率いたコンポステラの作品群が出たほぼ同時期、90年初頭にこれだけの音を出す音楽家たちが同じ街にひしめき合っていたことがよくわかる録音物で、追求はコマーシャルにはなれず、各自音楽家が本物を追求した瞬間が90年初頭の東京界隈の音の集まる場所にて鳴らされた、まだ"表現"が生きていたことを証明する、重要な録音作品。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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the brand new heavies / never stop CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
"acid jazz"はDJ文化から構築された音楽スタイルであり、そこでプレイされるジャズやファンクといった黒人音楽の創作者と同じ目線にて鳴らされた現象だったように思います。 ブリストルの音楽やシャーデーなどの出現にシャカタクなど、そう考えるとイギリスではこの手のジャズ復興は同時多発的に起こっていたように思えたり。 ここでジャイルス含め、オタク文化の香りがするのも、オーセンティックなジャズ愛好家から毛嫌いされていたジャズファンクやクロスオーバージャズにフュージョンといった、いわゆるモダンジャズ派とは違った、新しい音楽スタイルを再復興させ、クラブで踊った音楽愛好家たちが自ら演奏者となり、先駆者たちの音を再構築かつ生演奏を通して、身体的な刺激へと変えて行った流れは特に90年代の若者が求めていたことが丸々詰め込まれた娯楽だったように感じます。 今作ではthe brand new heaviesという現象をいち早くアメリカやイギリスなどに知らしめた力作であり、acid jazzの総本山、トーキングラウドより先にこのムーブメントの存在をアピールした重要作。特にオタク感むき出しなのも、ボーカル以外の演奏部分はジャズファンクの愛情に溢れており、レコードから鳴り響いた音楽に味付けなく、生演奏と先端のマシンを使い、素材そのままを現行の録音環境にて楽しむマニアックな音像にはクラブミュージックフリークたちもそのストイックな世界に唖然となるぐらいに本格的な音を鳴らしていたことが、今でもタイムレスに響く理由だと思います。 acid jazzの音楽群はその後の90年代ヒップホップやフューチャージャズといった一番に香ばしい音楽の基礎的な形を形成しているように感じます。特に今作の"Stay This Way"なんかジャミロクワイそのまんまなのも面白い。 ここには知の巨人の知性とハウスから受け継がれたオーディオ的、音響体験としてのダンスミュージックの概念が合わさり、それは現在地点にて、その時でしかない絶対的な若さの上にて理想的な音で"ジャズ"が鳴っているといった状況が必要不可欠。 この方法論はいつの時代も有効な発明であり、チカーノソウルなどのムーブメントもまさにこの手法のサンプリングだと感じます。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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福富幸宏 / Love Vibes CD
¥2,300($14.57)
ここ日本においてハウスミュージックをいち早く評論と創作の両刀にて、日本に伝承した重要人物のひとりとしてあげたいのが福富幸宏だと思います。 ハードコアバンド、ソドムのメンバーとして活動後、ソロ名義にてハウス作品を展開しており、90年代から現代まで、日本のポップス史のコニープランクとでも言いたい、ハウスのビートやベース(303使い)の概念をサラリとJ-POPSへと入れ込むプロデュースワークスは怪作多し。 豊田道倫の唯一のメジャー作や、小西康陽の作品群など素晴らしいプロデュースワークスが多いように感じます。 現地に行って活動していた富家哲やテイトウワなども重要ですが、同じハウスでも島国から出ず、日本の中だけで築きあげたハウスやテクノ、もう少し大きな枠組みで言えば、"90年代音楽文化"を中だけで構築した結果が日本の音楽のオリジナリティと熱気へと繋がっているように思ったり。 ルーツ思考が強めの音楽専門誌"ミュージックマガジン"でのハウスミュージックについて福富幸宏が書いた文章を読んでいると、ハウスミュージックの造詣が深いことがしっかりわかるわけで。 奈良のレーベルprivacyから2024年に004番としてリリースされた、滋賀のハウス職人、Takecha氏の"sound colors"に付属するライナーノーツによれば"ラリーハード作品を知ったのは福富幸宏が雑誌で紹介していて知った"と書かれてあるわけで。 福富幸宏が伝承したハウスミュージックの影響は大きかったと思います。 ジャパニーズハウスはもうひとつのジャンルとして確立されているところもありますが、寺田創一や横田信一郎しかり、デトロイトやシカゴにはなかった、ukのベッドルームでもない、コンパクトでスムースな独自路線の日本家屋が今聴くとオリジナリティであり、その住み心地は現行の若者たち、音楽を作る者たちとのシンクロ率が高いように思えたり。 今作は福富幸宏にとってのソロ1stであり、後に海外からの逆輸入のようにやってくる、マニアックラブなどの流れでもあるテクノとは違った、手探りのハウスが聴けるところがミソで、ニューウェーブ、ニューエイジなりの音楽とマシンミュージック、ブラックな街の音との邂逅が聴ける名作。 ハウスを用いてハウスを作ろうとしていなかった作曲家の作品群がやっぱり良い音を作っていると今作を聴いても感じます。 ラリーハードやニューヨークハウスのエッセンスがムンムンな楽曲に、海外を飛び越えずして、ニューウェーブやニューエイジからのダンストラックスへの混合実験がなんとも、ukのレイブカルチャーから生まれたブリープテクノ(こちらも根源はシカゴやデトロイトテクノ)と同じ地平を描いているような楽曲群がメジャーレーベルに残されていたことに驚いてしまいます。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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上田まり / coronet CD
¥2,000($12.67)
上田まりの00年に出た第三作目。 この後シングルが1枚出ていますが、アルバムとしてはこれ以降リリースが無いので最終章。 今作からPro Toolsの文言などが見受けられるところを見ると、この時代からDTMが登場してくることがわかるように、前作とはまるで違った音響空間にて鳴らされる上田まりの世界線が聴ける作品。 この後、日本でも音響派やエレクトロニカ勢が旋風を巻き起こすことを考えるとリアルタイムにて先端の技術が使われていたことがわかるわけで。Radioheadのkid Aとリリース同年というのもまた色々と見えてきます。 椎名林檎の初カバー作品でもある、DTM環境にて作り上げたことがわかる実験作、"唄ひ手冥利〜其ノ壱〜"にてプログラミング、編曲などを担当していた、森俊之と井上うにが全面バックアップしている影響が大きく、Pro Toolsを駆使したPOPS世界は楽器を演奏する概念よりも細部を強調した、まさに"音響"を個人が自由自在に操る、スタジオを楽器とした初期の音が聴こえてきます。 今作の3年後03年に作られた椎名林檎の名作、"加爾基 精液 栗ノ花"のプロト作品でもある、02年制作の椎名式ダークサイドカバー集が裏であれば、今作は上田式サニーサイドな表的プロトタイプとして、このようなPOPフィールドにて表裏実験が繰り広げられたと考えるとなんともゾワゾワします。 処女作から参加の亀田誠治陣営が本格的に入り込んできたことによって、処女作から舵を切ってきたプロデューサー、江口信夫色は薄くなっており、より混沌としたエレクトロニカ的世界を構築しているところが最高。 DTMの導入はここ日本の音楽環境において意外に世界的にみてもかなり早いわけであって、ダンスミュージックの系譜でない方向からそれは推し進められたように、フィッシュマンズの空中キャンプからの世田谷三部作ではPro Toolsを使用していたことは有名な話であり、これが96年の話しであって、アメリカの音響派バンドの代表格、トータスがPro Toolsを楽器として鳴らした"TNT"は98年作なので、それよりもっと早い段階から、日本のポップフィールドではPro Toolsでの創作が行われていた事実は忘れてはならないと感じます。 森俊之はブラックミュージックが持っていた魅力を完全にわかっていた音楽家であって、あちら側の90年代ヒップホップマナーに忠実なエンジニアでいて、SP-1200の使い手であることは有名ですが、坂本龍一のスウィートリベンジでのリミックスや、その後のSmoochyでの制作において大きな変化があったに違いないとみているのも、椎名林檎のカバー集の"君を愛す"での仕事などを聴いていると、ヒップホップという小さな枠組みを超え、教授サイドの音作りへと移行していることは明確だと感じます。 本アルバムの中でも重要なのが、亀田誠治が編曲を行う、待ちわびた休日(reprise)で、この手法は後の00年代のJ-POPSと言って良いスタイルが00年初頭で完成していたことがわかる歴史的資料。 ロック要素をうまく利用して(旧来の形をとりながら)テクノやエレクトロニカサウンドを違和感無く鳴らされる楽曲は後のJ-POPSのロック勢の音となっていくわけです。 これまで上田まりサウンドの基盤となっていたシティーポップスにエレクトロニカのような音響世界が入り混じり、なんとも浜崎あゆみ調のボーカルスタイルが少し入ってくるのも気になるところで、明らかに1stと比べるとビジュアル面に関しても大きく変貌しており、癒し系シティー派だったところが三年にて"戦う大人の女性"を想起させるビジュアルとなっているのも、この00年代を象徴する光景だと思えます。 なぜここから活動が休止しているのかはなんとも計り知れないわけなのですが、上田まり3部作は日本のPOPS史の中においても、激動の過渡期的3年のなかにてリリースされていたことがなんとも裏の聴きどころだと感じます。 次なる革新的な音をどう産業に乗せ、スタイルを作ろうかと真剣に音楽業界全体が考えた年代のように思えるわけです。 本当にこれから自分たちで作り上げて行かなければならなくなった前夜から、そこからの始まりの道のりは音楽業界全体が何か新しいPOPSの領域へと向かう、音の試行錯誤が聴けるところがなんとも大きな狂いゆく歯車の音とともに選ばれてしまった才気あるシンガーソングライターは波に揉まれながらも、ひとりの音楽家として大きな体験をしたはずで、それは椎名林檎でもあり、上田まりでもある、そして浜崎あゆみであり、ソングライティングを支えた音楽家たちでもあるのです。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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上田まり / empty page CD
¥1,800($11.40)
上田まりの99年に出た第二作目。 前作のシティーポップス路線はそのままに、上田まりのソングライティングを充分に感じてほしいという意図が感じられる力作。 ここへ来て、当時の打ち込みハード機材の導入が確認できるところが時代を感じます。 前作に比べるとストリングスや生楽器の比率がおさえられ、派手さは控えめに、部屋で作られた内省的な音楽となってはいるものの、ゆっくり歩くように新しい音の世界へと進み始めるアルバム構成は繊細な世界。 大阪出身のSSWが単身東京へやってきたといった物語が前作から意図してあったことが、今作にて微弱に変化していく楽曲群から感じとれます。 前作の"room"の情景真理までも、きっちり今作にて描き出す作風は流石の出来上がり。 音楽自体は確実に外へと歩んでいるのに、作者のroomへと、内へ内へと案内されていくような、同時再生される構造はアルバム文化の極み。 95年にリリースされた、MY LITTLE LOVERの名作、「evergreen」にて試された、ビートルズとモータウンの関係性を再構築したかのような世界はシティーポップス文脈には欠かせない鈴木茂のバンドワゴンサウンドに通ずる、あいのりを今作では、また違った比率にて再々構築しているところが意味のある作品。 実験の中で生まれ出たであろう名曲"いつか来た道で"の成果が次作、アルバム最終作の作風へと繋がっていくことは明確。 ここで何かを掴んだとプロジェクト全体が感じたはず。 そこからディープゾーンへと入るように、流れる都市の中での片隅を感じさせる"遠くへ行こう"で聴こえてくる都会派シンセワークが街の夕暮れを聴かせてくれます。 この時点にて、もうシティーポップスの枠組みを軽く超えて、真似事を抜け出し、完全なるオリジナリティへとポップスの領域が羽ばたく瞬間が聴こえます。 東京をテーマにした作品はこれまで色々あれど、70年代の青春や寺山修司などがテーマにした外から内へ集まる田舎者の生活とともに都市は大きな歯車を動かし続けるわけで。 そんな街での生活者の揺れ動く心象は純朴かつストレート。 なんともこの手の作品はセンチメンタルな旅のようでいて、確実にその時、その時代でしかない心情が"切り取られた"ことがわかるわけで。 このような、荒木経惟から始まった写真的物語、それはドキュメンタリー映画のように、田舎町から出てきた少年、少女と芸能がコミットする時に何が生まれ出るのか。 そんな瞬間を切り取ろうとする物語構成はエイベックスのお家芸のようにも思えたり。 そんなドキュメントを当時力があった芸術表現にて真空パックさせたことが、結果時代の詩を作り上げたのだと感じます。 00年初頭にURCの音源の販売権を獲得して販売に踏み切っているわけですが、レーベルイメージとはかけ離れていたこともあって、エイベックスからURC作品が出ていたことに違和感しかなかったわけなのですが、でもよくよく作品を聴いていくと、むしろ70年代の"青春"に執着したキティーの多賀や"運動"をアーカイブすることを作品とした初期URCの理念を元ネタとしていたことは明らかであって、90年代、00年代の大きな産業のなかにて、その永遠性を形にしようとしていたことがわかってくるわけです。 これは遠くはジャニーズやモーニング娘。などのアイドル文脈にも言えますが、"ポップス"という表現は日本の一番の舞台(高い場所)にて描かれる、少年、少女がごく自然と持ち合わせていた純朴を神話に捧げることによって、古来儀礼などでも用いられた絶対的な神々との交わりを音楽媒体を通して体感する、一種の祝祭のようなことだったのではと思ったり。 ネットが現れてからはヒドラの首は切られるが如く、細分化が進む世の中において、昭和に作り上げられた神の降臨は無いにせよ、この時代はまだこの方法論がかろうじて通用した最後の年代のようにも思ったり。 それは信仰、セラピーのような行為を音楽が引き受けて行っていたのではないかと思えてならないわけです。 バブル崩壊後の就職氷河期時代を戦う、ロストジェネレーションたちの巨大な鏡として、それは当時の日本の若者の等身大の神として、エイベックスの看板アーティストたちは君臨していたのではと思ったり。 エイベックスのサイドストーリーを集めていくと、実は描かれることのなかった、当時の若者たちの切実な声が聴こえて来るが如く、もうひとつの情景が浮き上がってくる心象風景こそがポップスに刻まれたソウルなのではないかと思えてならないわけです。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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上田まり / room CD
¥2,600($16.47)
上田まりの98年に出た第一作目。 一年に1枚のペースにてリリースされることとなる、3部作の処女作。 テクノや打ち込み音楽の全盛の時代にアナログ色ある方向がカウンターとして成立した時代であって、オーガニックかつチルアウトなどと繋がる文脈は当時あったはずで、特にマシンポップスに力を入れていたエイベックスがこのような路線で勝負をかけていたといった事実は面白いわけです。 しかしながらよくよく考えてみれば、安室奈美恵のSWEET 19 BLUESも海外向けのR&Bやフュージョンへと傾いていますし、TRFのオーバナイトセンセーションなどもアースウィンドファイヤーやシックなどのディスコ調で、H Jungle with tに関してはジャングルやレゲエを取り入れながらも、なぜだかフォークやニューミュージックの香りがするなんとも不思議な楽曲なわけで(浜田の歌唱の影響は大きい)。 小室哲哉が率いたglobeあたりはymoイズムを現行のpopsやukテクノの地平に繋げようとしていた実験のように感じるので、globeの動きはマシンpopsなわけですが。 ゆずやコブクロなどのアコースティックギター片手に歌う、フォークアピールのようなわかりやすいアナログではなく、生楽器にて洗練を重ねた"シティーポップス"と後に名付けられる、都市型ポップス手法が用いられているところが、00年代式AORであり、なんともモリコーネが映画音楽にて実験を繰り返したようなセンスを感じます。 プロデューサーでもある、ドラマーの江口信夫の手腕だと見ています。 江口信夫は杏里作品群のバンドのメンバーでもあり、角松敏生などのバックバンドでも腕を奮っていたわけで、極めつけにはシティーポップスの雛形でもあるユーミン、松任谷正隆とのレコーディング仕事を行っているというところが筋金入りで、ユーミンや松任谷正隆などに繋がる70年代の動きもきっちり分かりながらの00年代での投下だったのではと今作を聴いていると思えるわけです。 一曲目"誰もいない部屋"からその手の音楽展開が健在であり、なんともそんな流れにワクワクするわけで。 歌唱は演歌まではいかなくとも、昭和歌謡を思わせる歌声は思惑通りであり、シティーポップス文脈にて語り継がれる、桐ヶ谷仁の世界も匂わせます。 具島直子を彷彿とさせる"せつなかった日"や古内東子と繋がる"十五夜には"など名曲尽くしなのですが、まだここではエイベックス色が少なく、なんともシティーポップス好きには、こちらの1stが隠れた名盤かと思われます。 奇をてらった音はまるで登場せず、淡々と上質なPOPSでまとめられているところが最高で、この塩梅はちょっとわかる人にしか伝わらない世界かも。 昨今のサウンド重視の音も良いのですが、これぐらいの塩加減で作られるお袋の味はまた格別かと。 マックス松浦がプロデュースに関わっていることもあって、期待は大きかったのか、その後、なんともこの路線にてエイベックスがミュータントしていくところがこれまた面白い比率を生み出すプロジェクトですが、こちらの地盤を聴いていないとその面白さは半減すると思ったり。 同時期に椎名林檎との作品で成功をおさめ、後に東京事変などでも活躍する編曲家、ベーシストでもある亀田誠治が参加しており、3部作の最後まで付き合うこととなるわけですが、化学変化が聴ける素がなんとも極上なシティーポップス歌謡というのもこれまた良いです。 しかもデッドストック未開封。推薦盤です。 ※写真は私物を撮影しております。今作は未開封ですので、状態などは確認出来ていません。 CD盤面 D : Dead stock 未開封 ジャケット D : Dead stock 未開封
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the brand new heavies / dream come true CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
ukのシーンではジャズが絶えず中心的な役割を行ってきたように思うのも、その音楽的思想から、文化人にコレクター、レコードショップに演奏者、そしてハードリスナーにおいて時代や表現手法を変えて、ときに集団となり、現在まで価値を落とすことなく守り育てられた音楽なのだと思っています。 そんなukにて海賊ラジオからイギリスの国営放送BBCにてラジオ番組まで持つまでにのし上がったジャイルスピータソンがトーキンラウドレーベルをスタートさせたのが89年。アシッドジャズのムーブメントは日本にもやってくることになるわけで。 ムーブメントのエネルギーを爆発させ、世界的な人気へと広がっていったのも、こちらのthe brand new heaviesやガリアーノにヤングディサイプルズ、みんな大好きジャミロクワイなどがきっちり結果を残したからだと思っています。 このアシッドジャズというムーブメントの面白いところは当時新しいビートが生まれていた、クラブシーンにて生まれ、世界中に増殖したハウスやグラウンドビートを取り入れながらもジャズを中心に置いたというところがユニーク。それはジャズコレクターの幅広い、知の地平からジャズを中心に置きながらも、現代的に鳴らすことに終始中心を置いたことが大きな流れになった要因だと考えています。 権威主義が渦巻くモダンジャズファンからは煙たがれた、70年代ジャズファンクやクロスオーバージャズにフュージョンといったオーセンティックではないとされていたジャズを掘り起こしたのは、ジャイルスたちDJ陣の手によってそれは鳴らされていたのです。ジャズでダンスすることが当時は新鮮だったのかもしれませんが、この流れはレアグルーヴムーブメントにこのアシッドジャズの動き、のちにクラブ文化がその思想をダンスミュージックへと昇華して、フューチャージャズの地平へと繋がっていきます。 このアシッドジャズムーブメントの興味深いところはクラブという空間にて養われた、そして、インターネットもなかった世の中において、どの音楽表現よりも増殖して、世界中へとその表現は飛び火していきます。 世界中でクラブの思想は急速に広がっていき、その愛は誠実だったゆえに語られ続け、クラシックとして愛された楽曲は永遠に音楽ラバーたちに愛されるわけです。 それは部屋で聴いていた音楽が、クラブという特殊な"音響"の世界において鳴らされることによる新しい"体感"がどの音楽体験よりも真理に近づいたのだと感じますし、それはDJを神聖化する、文学的なハウス文化にカウンターとして表れたDJやイベントの名も無くなっていく、テクノ文化、レイブカルチャーの到来を予感させますし、スピリチュアルな観点においても重要であった日本の独自路線によるレイブの捉えられ方は新興宗教などの勧誘手法とも類似するわけであって、それは身体的な体感を真理のように頭が発達し過ぎた当時の新人類にとって身体の欠落は落とし穴であり、極上の快楽であったように感じます。 98年、アシッドジャズのムーブメントが約10年となった、best of the acid jazz yearsとこちらの作品に書いてあるように、ヴァーチャルインサニティー収録のTravelling Without Moving のヒットにてスターダムにのし上がったジャミロクワイが99年に日本ではオリコン2位、約73万枚と最も売れた、シンクロナイズドが出るちょうど間にリリースされた、ムーブメントの柱的グループの作品。 トーキングラウド、アシッドジャズムーブメントが最盛期であった90年代初頭にジャイルスやヤングディサイプルズのベーシストでもあるDJマルコも言及しているように、生の楽器で演奏していることを大きなトレードマークとしており、それもukでは打ち込まれたアシッドハウスやレイブが社会現象になっていた後に爆発した不満でもあるように同じ国のなかにて、アンビエントチルアウトやこのようなアシッドジャズムーブメントが同時に存在した充実した季節だったのではと容易に考えられます。 デトロイトやシカゴからのテクノやインテリジェンステクノに対するカウンターとしてジャズやジャズファンク、ブラックミュージックから始まっているこの思想は99年あたりのアメリカのヒップホップやネオソウルの面々の思想にも浸透していたのではと考えます。 生が当たり前になればまたマシンの時代が到来する。そのループのなかで音楽は深みを増していくのだと思います。 今作の内容はというと極上の演奏が聴ける、太い音楽連鎖を感じる内容。 今欲しい心得た音のオンパレード。 起点がここなのだとすれば、ラブタンバリンズが日本のリスナーに向けて作っていた、その違った部分を聴き比べる事もできますし、ジャミロクワイがどうして特別だったのかも理解できます。マッシブアタックがどこに焦点を当てていたのか、それは過剰な焦点比率にてトリップポップが出来上がっていたことなどもわかると思います。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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X.VALDEZ / HIGHER GRACE CD
¥1,600($10.14)
SOLD OUT
デミアン・オニールが率いた二人組男女ユニットの作品。00年作。 この時、新人として出てきたユニットながら、40才近いデミアン・オニールは、UKパンクのジ・アンダートーンズのメンバーとして活動後に弟とともにエレクトロニクス主体の音楽を展開しており、00年に入ってからも"先端"の音楽を追っかけながら、自らの地平を作ってきた音楽家。 00年代初頭、エレクトロニカ勢や実験音楽、70年代リバイバルのディープゾーンに入った最中に落とされた、妙に落ち着いたムードを保つエレクトロポップス作品に驚いてしまいます。 マシューハーバートの世界線に近いように感じます。 この時代までくると、80年代に出てきた音楽家たちが70年代の思想を地べたにして、より新しい音楽を模索していたことがわかってくるわけで、ベンワットやトレーシーソーンなどの動きを見てもそうですし、ヴァニティレコードの阿木譲しかり、初期ダムタイプの面々もヨージビオメハニカにkuniyukiしかりそうですが、全てに思うことは懐古的に音楽を行っていた人たちとは当たり前ながら、まるで違った道のりにてダンスミュージック、エレクトロニクスミュージックへと近づいたことが、音楽が持つ温度で感じとれるわけで。 ある種、70年代終わりから音楽を作り出した作家は最強の懐古主義者なのかもしれませんが、他者と共有したいわけではなく、自分しか知らないはずの"最初の音楽"を聴いた時の感情を、ただもう一度再生したいがために前衛を貫いたのではないかと、先端音楽を追っかける音楽家たちの音を聴いているとそう思ったり。 それはこれまで聴いてきた音楽では感情が動かない、厄介な現実との戦いのようにも思えます。 このX.ヴァルデスの音楽は打ち込み機材やシンセサイザーで奏でられてはいるものの、直球のダンストラックスでは無く、洗練されたジャズやサントラ、モンドの世界線がエレクトロニクスにアブストラクト、トリップポップの世界線と入り混じる、2026年においても現代的な"AOR"として機能すると感じます。 今作は長年音を見つめてきた音楽家の眼差しが聴ける作品。 フランスのバンド、エールのメンバーやアレックス・ゴファーが参加していたオランジュというバンドメンバーでもあった、フランスのエレクトロニック・ミュージック・シーン最初期から関わってきたザビエ・ジャモがプロデュースしているところもフランスのダンスシーンがメジャー化するぐらいに力強かった、00年初頭の音楽の連なりを感じます。 X.ヴァルデスの楽曲群も素晴らしいのですが、ここで注目なのが、この楽曲リミックス作業のみで実現した、Silent Poets + Chari Chariによるダブルリミックス作品が極上で。 この楽曲だけのために買っても良いのではと思うほどの素晴らしいリミックス作業を聴いて欲しい。夏をこれで乗り越えられるぐらいの、極楽浄土へダイブするような名仕事。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品 サンプル盤。
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Burt and Joe Wolff / night light CD
¥1,400($8.87)
SOLD OUT
アメリカのジョージア州アトランタのピードモント病院の麻酔学専門医、フレッド・J・シュワルツは15年間医療の現場で音楽を使い、自然分娩や帝王切開、麻酔投与の際に音楽を効果的に用いているようで、音楽のもつヒーリング効果にいち早く注目をしていた音楽愛溢れる医師であります。 クラシックやニューエイジをはじめポピュラーミュージックにカントリー、ロックのチャンネルを病棟に設け、入院患者が24時間好きな音楽を聴ける設備を整えるなど、人間の生死が入り混じる病棟にて、まさに"人と音"のクロスオーバーをナマで実践する異端。 幼い頃から音楽を学び、演奏活動を続けていることもあって、ドローンやアンビエントの世界線でのニューエイジミュージックではなく、メロディが優先にある世界線にてニューエイジの世界を描いているところが当時のリアルな情景を感じます。別のレーベル作品では、古いラジオから聴こえていた70年代のアメリカン・ポップス、たとえばカーペンターズのような、美しいメロディーとやさしい歌声と子宮の音をミックスした、子宮の音に合わせてポップな胎内感覚の子守歌を生成しているという、なんともヴァンダイクパークスが医師になって、手術してくれるような世界線は聴いてみたいところ。 兄弟共にアトランタのエモリー大学で心理学を専攻、学位を取得し、アトランタに2つのレコーディング・スタジオを持っており、自主レーベル、"ウルフ・ブラザース・ミュージック"を設立し、コンポーザー、ミュージシャン、プロデューサーとして様々な音楽活動を展開していたようです。 これはなんともバブリーかつリアルなニューエイジ世界を堪能できる一品。94年作。 メロディとアンビエンスの次のラインが浮き出ている音楽はジャンルが出来上がる前の奇跡的な描写を感じれる作品。推薦盤。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品
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soft machine / third CD
¥1,800($11.40)
ソフトマシーンはイギリスのカンタベリーにある芸大にて結成されたバンドで、このソフトマシーンは十数年の活動のなかで、メンバーチェンジを続ける"移行集合体"であり、そのメンバーチェンジの際に行われた音楽家たちのぶつかり合いが作品の表情を作り続けてきたように思います。 作品ごとにまるで違った顔が浮かび上がるわけですが、それはどんどん理想郷に近づくが如く、sixや sevenあたりがマシーン的ジャズロックの完成かと思えるぐらいに、タイムレスな響きに達しているように感じます。 それは初期メンバーが不在となったとしても、同じ志の音楽家がより良い世界を模索して繋げ作り上げた結果であり、そんなソフトマシーンのぶつかり合いから人脈、山脈となり数多くの他バンドが発生することとなるわけなのですが、その人脈はのちに"カンタベリー派"と呼ばれるようになりました。 そんなカンタベリーのはじまり、ソフトマシーンの大きな節目にあたる作品がこのthirdや次のforthあたりではなかったかなと思ったり。 彼らはバロウズやケルアックといった60年代後期に流行したビートニックの詩人たちから影響を受けており、彼らが愛聴していた、彼らの視点にて捉えられた旧来あったジャズを再解釈する感覚を探り出し、紙とペンにて昇華した新感覚を音楽として表現したのがまさにソフトマシーンの真骨頂。 フリージャズやロック、現代音楽からミニマルミュージックまでもが同じ価値観にて扱われていた混在はソフトマシーンがいた時代のリアリズムだったように感じます。 本から受けた感覚を音楽に落とし込んだのがソフトマシーンであり、カンタベリー派なる大きな枠組みはヘンリーカウやスラップハッピー、アートベアーズといったレコメンへと地続きとなり、それは90年代や00年代まで受け継がれていくことになるわけで。その始まりのような動きがデビットアレンにケヴィンエアーズ、ロバートワイアットにラトリッジからなるソフトマシーンのように思います。 オーストラリア人のヒッピーであったデビットアレンは薬物問題にてイギリス国内に入れなくなったことを理由にフランスへ入国し、こちらも"移行集合体" の代表バンドGONGを結成するわけであり、アレンが作り出したこの二つのバンドは長きに渡り活動を行うこととなるわけですが、両バンド共に他者に愛され変形していくといった同じ道のりを歩んでいくというのもまた面白い。 こちらのthirdは前作でのワイアット、ラトリッジにヒューホッパー、エルトンディーン、ニックエヴァンスなどの管楽器奏者を加えた、8人編成で挑んだ作品で、彼らが新しいジャズロックを模索していたことは言うまでもなく、従来のロックでもジャズでもない、その中央にあった神秘への扉をゆっくり開く音が聞こえる名作。 プログレの組曲形式の上にて即興部分に現代音楽的な知性、ジャズの持つ会話、インタープレイを次の次元まで持っていった世界は必聴。 この緊張感は同時期に発表されたマイルスのビッチェズブリューと比較出来るぐらいに迫り来るものがあり、でもしかし、マイルスにはグルーヴ、流れが聴き取れ、マイルスが現れることが目に見える(なかなか出てきませんが)様に聴こえますが、ソフトマシーンは誰がどこから現れるのかもわからない、ビートニック的な精神があります。 だからこそ、今作収録の神の領域の上で聴こえる名作"Moon in june"で現れる、唯一はっきりしたワイアットの声が現る"瞬間"が大きな光となっているように思います。 ここから何かが始まっていることは明確。 彼らがバロウズの作品からバンド名をとったように違う側面にてそれを見つめることは重要だと思います。 CD盤面 M-:Mint Minus 美品 ジャケット EX:Excellent 経年劣化があるも全く問題のない状態・良品